
納豆党の浅野まめ子党首(48)が19日の国会で、「納豆をかき混ぜる回数で議員の信頼度を測定する新制度」を提案し、議場が騒然となった。愛知県出身の浅野党首は「納豆をかき混ぜる姿勢こそ、人間の本質が表れる」と力説。「30回未満は『信頼度低』、50回は『標準』、100回以上は『極めて高い』」と具体的な基準まで示した。
この発言に対し、野党議員からは「そもそも納豆が苦手な議員はどうするのか」「混ぜ方の強さによる差異はどう考慮するのか」など質問が相次いだ。浅野党首は「納豆を混ぜることから逃げる人間に、国民の未来を混ぜる資格はない」と反論し、議場はさらに混沌を極めた。名古屋出身の記者としては、八丁味噌ではなく納豆が政治議論の中心になるとは思ってもみなかったが、実家の母が「納豆は16回混ぜるのが正解」と言っていたことを思い出した。
浅野党首の主張を裏付ける形で、架空団体「国際納豆研究所」の渦巻一郎所長(62)が「納豆信頼度指数」なる評価システムを開発したと発表。渦巻所長は「納豆をかき混ぜる際の目線の真剣さ、混ぜる速度の一貫性、最後まで諦めない粘り強さ。これらは政治家に必要な資質と完全に一致する」と学術的な装いで説明した。この理論に科学的根拠を求める記者の質問に対し、「納豆菌と人間の誠実さは目に見えないが確かに存在する」と哲学的回答で切り抜けた。
政界では早くも「納豆かき混ぜ講習会」が計画され、与党幹部は「我々はかねてより粘り強い政策実現を目指してきた。納豆は我々の政治姿勢の象徴だ」と opportunistic な姿勢を見せる。一方、ある野党議員は「混ぜれば混ぜるほど臭くなるのは政治腐敗と同じではないか」と皮肉を込めた。私が学生時代に出会った政治学の教授も「政治は納豆のように、混ぜれば混ぜるほど不透明になる」と語っていたことを思い出す。
SNSでは#納豆信頼度チャレンジが爆発的に広がり、著名人たちが納豆かき混ぜ動画を競って投稿。ある俳優は「100回混ぜ続けたら腕が筋肉痛になった」と報告し、「納豆筋肉痛」が新たな健康法として注目されている。フィットネスクラブでは「納豆かき混ぜエクササイズ」が新設され、「政治意識と二の腕を同時に鍛える」とうたっている。これを見て思い出したのは、大学時代の友人が「納豆はテレビを見ながら無意識に混ぜるとおいしくなる」と言っていたこと。彼女は今、地方議員になっている。偶然だろうか。
納豆党の提案は一見滑稽だが、「政治家の信頼性をどう測るか」という根本的問題を可視化した点で評価する声もある。浅野党首は「次回国会では全議員による納豆かき混ぜコンテストの実施を提案する」と意気込む。納豆をめぐる政治の新展開は、透明性という名の粘り気を増しながら続きそうだ。夜遅くこの原稿を書きながら、私も冷蔵庫の納豆を取り出してみた。果たして何回混ぜれば、締め切りに間に合う記事が書けるのだろうか。